女子スケートボードでわずか14歳で金メダリストとなった吉沢恋(よしざわ・ここ)さん。
輝かしい経歴から数多くの企業やスポンサーでいっぱいのイメージですが、今までスポンサーや事務所にも所属していませんでした。
だから幼ない頃から、近所の公園で練習していたのだとか。
こちらの記事では今を生きる吉沢恋さんのコーチの名前や、スケボー練習をしていた公園などを紹介していきます。
気にな人はぜひ最後までご覧ください。
吉沢恋さんのコーチは寺井裕次郎さん!
結論から先に言いますと、吉沢恋さんのコーチは寺井裕次郎さんという方です。
顔写真は以上のような顔立ちをしていました。
とても爽やかな笑顔で、まさに「スポーツをやっている男の人」を体現したような軽快な雰囲気をしていると思いませんか?
こちらの爽やかなお兄さんが、金メダリストの吉沢恋さんを産みだしたなんてびっくりですね。
寺井裕次郎さんとは?
寺井裕次郎さんは吉沢さんの地元である神奈川県の相模原市にあるスケートボードプロショップ。
「ACT sb store」でオーナーをしています。
お店経営の他にもスケートボードスクールの講師などをしていました。
- YouTube
- SNS
などでも情報を発信しており、ネット環境さえあれば誰でも寺井裕次郎さんのコーチを受けることができます。
吉沢恋ちゃんのコーチの解説が分かりやすい!
めっちゃむずい技なんだね pic.twitter.com/j1tZoEs67i— shironekonoko (@GNvYemR02319441) July 29, 2024
こちらのポストの動画を見てみると、とてもわかりやすい説明をしていることがわかります。
コーチの腕前が相当高いことが、説明から伺うことができました。
このコーチが居たからこそ、吉沢恋さんは金メダルを取ることが出来たのでしょう。
吉沢恋さんと寺井裕次郎さんの出会いは2016年秋ごろ
そんな吉沢恋さんと寺井裕次郎さんの出会いは2016年の秋ごろと言われています。
寺井さんが「ACT sb store」をオープンして約半年頃にスケボーを吉沢さんが始めました。
その時からずっと寺井裕次郎さんはスケボーの基礎を教え続けていたとのことです。
「金メダルと取れるんだから、もとから才能あったんでしょ?」
と思ってしまいますが、吉沢恋さんはずば抜けて運動神経が高いわけではなかったようです。
ただ、ある意味では才能がありました。
それは「努力の才能」です。
天性の運動神経はありませんが、とにかく練習する子だったとのこと。
小学校の時にはなんど1日6時間も練習していたのだとか。
ほぼ毎日のように練習し続けて、努力を重ねた結果今の吉沢恋さんになったのでしょう。
寺井さんは優しい風貌から指導もやさしめに思えますが、実はとても厳しいことで有名です。
世界的なプレイヤーを出すのを目標として指導していたことから、結果的にすごく厳しくなってしまったとのこと。
吉沢さんはその中でも辞めずに最後まで残っていた子だったそうです。
お互いの努力がちゃんと実を結んだ、感動的なエピソードですね。
吉沢恋さんスケボー練習に愛用している公園は小山公園
こちらの画像に映るのは、吉沢恋さんがスケボーに練習に愛用している小山公園です。
小山公園と聞くと、スケボー好きに以外にはあまりピンとこないでしょう。
この小山公園は、スケボー好きの聖地と言われている有名な公園と地元民から愛されていました。
この小山公園が吉田恋さんにとってどれだけ大事な公園かをこちらの項目ではご紹介していきます。
吉田恋さんが小山公園を愛用していた根拠は2点
吉田恋さんが小山公園を愛用していた根拠はこちらの2点になります。
- 所属しているスケボーショップの「ACT sb store」の小山公園が近くにある。
- 小山公園は数多くのスケボー選手が誕生している聖地
所属しているスケボーショップは、さきほど解説した「寺井裕次郎」さんのお店のことでしょう。
寺井さんは本気で金メダリストを出すつもりだったから、近くに店を構えたのかもしれません。
さらに小山公園には吉田恋さん以外にも数多くの先輩たちが誕生している聖地です。
以上のことがあるからこそ、吉田さんが小山公園を愛用していたのは必然と言っても過言ではないでしょう。
小山公園には年上プレイヤーがたくさん居る
小山公園には数多くのスケボースターがいます。
同じく相模原出身のスケボー選手の伊佐風椰さんも愛用していることから、周りが先輩だらけだったことが上げられます。
技術は見て盗むという言葉がありますが、小山公園に行くだけで盗める技術をもった先輩が数多くいる利点を使わない手はないでしょう。
こういった理由から、吉沢さんも歴代のスケボー選手たちと同じく小山公園を愛用して日々練習に使っていたのかもしれません。
吉沢恋さん以外にも小山公園出身の選手たちがいっぱい
実はこちらの小山公園ですが、吉沢恋さん以外にも数々の凄腕の選手を生み出したことで有名です。
今回紹介する凄い選手は以下の3人。
- 藤澤虹々可選手
- 白井空良選手
- 伊佐風椰選手
上記の選手は藤原恋さんに負けずと強い選手です。
小山公園が生み出した有名選手が気になる人は、こちらもご覧ください。
1人目:藤澤虹々可選手
名前 | 藤澤 虹々可(ふじわら ななか) |
生年月日 | 2001年11月8日 |
出身地 | 相模原 |
初出場の大会 | EXPOSURE2017 |
初出場の実績・成績 | ストリート部門(15歳以上)優勝獲得 |
日本国内の大会 | 2019年2月 日本オープン・ストリート選手権女子で優勝を飾る |
藤澤虹々可選手も吉沢恋さん同様に小山公園出身の選手です。
吉沢さんも同様に、同じ公園で練習していたことからもしかしたら面識があるのかもしれません。
小山公園にニュースポーツ広場ができてから、サーファーの父がオフトレーニングでスケートボードをするようになりました。
その父について行って見ていたら、私もやりたくなって。
それが、6歳の時です。何ヶ月かで技術的には父を追い越してしまって、そこから先は真夏や真冬でも練習に付き添ってくれた母が教えてくれました。引用元:相模原市公式HP
相模原市公式HPでも以上のようにいっていることから、数多くの選手にとってはかけがえのない場所なのでしょう。
2人目:白井空良選手
名前 | 白井 空良(しらい そら) |
生年月日 | 2001年11月3日 |
出身地 | 相模原市 |
2019年の大会記録 | 日本オープン2位、日本スケートボード選手権4位、DEW TOUR Long Beach2位、ARK LEAGUE / SKATE ARK優勝、Damn Am Japan優勝 |
X GAMESの成績 | ミネアポリスで開催されたX GAMESで初出場にして3位 |
白井空良選手もスケボーを始めたきっかけが小山公園です。
吉沢さんと歳もちかいことから、もしかしたら面識があるのかもしれません。
ちょっとだけスケートボードをやってた父が5歳の時にすすめてくれて、やってみたらハマった感じですね。ちょうど小山公園にスケートボードエリアができた頃です。
小さかったので、あまり覚えてないのですが、当時からひたすら滑ってきたという記憶があります。それで、もう小学生の頃には「自分にはスケボーしかないな!」と思っていました。引用元:相模原市公式HP
以上の相模原市のインタビューを見て「自分にはスケボーしかないな!」という言葉に驚いた人も多いのではないでしょうか?
このように幼少期から自分の夢と未来をきっちり決められる方はとても少ないです。
白井空良選手は幼少期から、自分の進むべき方向を見据えていたというのはとても凄いと思いませんか?
3人目:伊佐風椰選手
名前 | 伊佐 風椰(いさ かや) |
生年月日 | 2001年5月23日 |
出身地 | 相模原市 |
大会実績 | 2018年5月 日本スケートボード選手権 ストリート種目 優勝
2018年8月 アジア競技大会 ストリート・パーク両種目 準優勝 |
所属 | ミキハウス |
伊佐風椰選手は画像でわかる通り、かなり美人のスケボー選手ということで有名です。
その伊佐風椰選手も吉沢さん同様に小山公園出身でした。
小山公園にニュースポーツ広場ができたのは、私が幼稚園児だった時。犬の散歩をしていたら、お兄さんたちが滑っていて、「カッコイイ!」と思ったのがきっかけです。最初はクリスマスプレゼントでスケートボードが欲しかったけど、母に反対されて‥‥。
それでも諦めずにいたら、6歳の誕生日に買ってもらえました。そこからは、習い事が終わった後に毎日のように小山公園に通って、幼稚園児なのに夜10時くらいまで滑っていましたね。引用元:相模原市公式HP
こちらも幼少期の出会いに心打たれて、スケートボードに惹かれたとのこと。
お母様に反対されても諦めずに、いたからこそ今の伊佐風椰選手がいるのでしょう。
まとめ:吉沢恋のコーチは誰で名前は?スケボーの練習をしてた公園も紹介!
今回は吉沢恋さんのコーチの寺井裕次郎や、スケボーで練習していた公園の小山公園についてご紹介しました。
こちらの記事でわかったのは、寺井裕次郎さんの吉沢恋さんはどちらも努力の天才。
2人がコーチと選手として出会ったからこそ、金メダルがとれたと言っても過言じゃない。
この2人だからこそ見ることができたの感動のエピソードがありました。
そのエピソードの舞台は、数多くのスケボー選手の生み出した小山公園。
吉沢恋さんは今後も寺井裕次郎さんと一緒に、歩んで欲しいと思ってしまいますね。
もしスケボー好きならば、スケボー選手の聖地である小山公園に行ってみてはいかがでしょうか?